2018年3月22日 shotom 0Comment

人は生まれつき輝いている、そう思います。生まれたばかりの赤ちゃんは誰の目にも輝いて見えますし、生命そのものは一点の曇りもなく存在していると感じます。

しかし、大人の世界を見回していると、輝いていない人も多く見受けられます。輝いている人もいるし、そうでない人もいる感じがします。

この違いはどこから来るのでしょうか。

私の周りの輝いている人の話を聞いていると、ある共通点があることに気づきました。そしてその内容が、自分が以前に働いていたときの体験と重なったので、今日はそのことについて書きたいと思います。

今から15、6年前、私は東京でとあるマッサージ店の店長をやっていました。足つぼとボディ60分、みたいな、駅前によくあるリラクゼーションサロンです。

割合と古いビルの3階か4階でしたが、特に店長になってからは、トイレの掃除だけは欠かさず気合いを入れていました。その頃のトイレ掃除には相当こだわっていて、今思い出すと笑って(苦笑ですが)しまうほどです。

そのこだわりの一番大きなものは、「便器に顔をつけられるレベルまでトイレを綺麗にする」というものでした。家では問題なくできていたのですが、誰でも使うような一般的なトイレでそれを実現するというのは、ある意味で挑戦でした。

今考えると、ちょっと「危ない人」ですが、その頃は大まじめで、これがお店にとっても自分にとっても本当に大切なことだ、と考えていたのです。

それから毎日、朝から凄い勢いで磨いていました。なにしろ顔をつけられるレベルまで綺麗にするのですから、半端なことではいけません。二種類の洗剤を使って丁寧に洗い、綺麗なタオルで水拭きした後、汗だくになって徹底的に磨き上げていました。

できあがると、誰も入ってこないことを確認しつつ、そっと顔をつけます。

毎日のようにそれをやっていたので、トイレはいつもぴかぴかと輝いていました。

この頃は掃除の後のトイレに入ると、ぴかーっと光が出迎えてくれる感じでしたので、この感覚を一人で「トイレフラッシュ」と呼んでいました。

こんなことをやっている内に、なぜトイレ掃除がそれほど重要なのか、なぜ通常と違う感覚、「トイレフラッシュ」が起きるのか、次第に飲み込めてきました。

綺麗にトイレを磨き上げ、それを続けていくと、トイレが明るくなってきます。当初は、自分が集中するからよく見えるようになって明るく「感じる」のかと思っていたのですが、途中から、本当に明るくなっていることがわかってきました。

床、便器、蛇口、水道管など、見えないところまでくまなく磨き上げていると、金属やタイルの輝きが増してきます。真正面からの光だけでなく、パイプの裏側、周囲のタイルなどに光が反射して、目に入る光量が増え、トイレ全体が輝いていくのです。

人間の目は通常、フラットに見えている部分しか見えていないとなんとなく思い込んでいます。

しかし、実際には、ものの裏面に入り込んだ光が反射した光も目にしていて、その全体的な光を総合的に情報としてとらえているのです。

人間の心もまた同じだと思います。

自分が表に出している部分は、目に止まる部分、いわば表面の部分です。人に会ったりしているときにはその部分がクローズアップされます。

しかし、実際に深くその人を知ったり、感じたりしたときに見えてくるのは、その裏の部分から発せられる光も含まれた総合的な情報なのです。

私の知る輝いている人は、普段は人に見えないところを毎日、丁寧に磨いています。

普段は人に見えないところをよく磨いておくことによって、反射する光が増え、自然と輝きが増してくるのです。

一人の時、どんな感情を持つか、どんな態度で生活するか、それは自分らしいものなのか、常に自問自答して自分なりの答えを出して実行している人の輝きは、ひと味もふた味も違っていると感じます。

自分なりの答えにはこれが正解というものはありません。自分らしさを生活のどの部分まで行き渡らせているかによって、その人の輝きが違ってくるのです。

自分はそれなりだとあきらめてしまえば、輝きもそれなりにしかなりません。

自分は納得がいかないけど、仕方ないからそうする、ということを続けていれば、輝きもそうなります。

自分らしくない生き方だけど、周りはみんなそれを求めているからやるしかない、と思って生きていれば、輝きは失われてしまうでしょう。

逆に、一人だから妥協できそうなところでも、自分はこう生きると決めたから、と妥協しない道を選ぶこともできます。黙っていれば誰にも気づかれないことでも、自分らしくない、という理由だけでそれを遠ざけることもできます。

自分自身で在り続ける、ということが輝きの源泉なのです。

自分の得意なことを伸ばして輝く、そんな感じのことが良くいわれる昨今ですが、現実世界で輝いている人はもっと地道なところで自分を磨いています。

輝きはどこにあるのか、探すことはできません。それはたいまつをともして洞窟に入り、暗闇はどこにあるのか探しにいくようなものです。

自分の中のどこかに宝石があってそれが光り輝くのではなく、自分自身が宝石であり光なのです。自分の意識や思い、態度、過ごす時間、全てが輝きの要素であり、それらを丁寧に自分らしく磨いていくことによって反射する光が積み上がっていき、輝きが増していくのです。

人間は生まれたとき、誰もがひとしく輝いています。そのことを、私たちは全員が知っているし覚えているはずです。

自分の心のありかたを磨きたい方は喜びのアルケミーを受けてください。
自分の姿勢や歩き方を磨きたい方はインナー・タオ・プラクティスを受けてください。
自分の意識を磨きたい方は瞑想の精髄を受けてください。